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●くじらの街太地町でくじら供養際 96/4/30


江戸時代から続く捕鯨の街、東牟婁郡太地町の梶取崎で29日、かつての捕鯨船の乗組員ら100人が参加してくじら慰霊祭が行われた。

太地町の捕鯨関係者らは「くじらのありがたみは捕鯨に支えられてきたものが一番良く知っている」と昭和54年に、かつてくじらの見張り台のあった梶取崎に、コンクリートで5m以上もあるセミ鯨の慰霊碑を建立し、毎年慰霊祭を行っている。

今年も29日に慰霊祭が行われ、国際捕鯨委員会捕鯨全面禁止絶対反対太地町連絡協議会の濱中 健会長はじめ、会長太地町捕鯨OB会の会員など、かつて捕鯨船に乗り組んで遠くは南氷洋まで出かけた乗組員らおよそ100人が参加し、商業捕鯨の再開を願いながらくじらの霊を弔った。

太地町の捕鯨の歴史は古く、江戸時代は勇魚(いさな)漁と言われた伝統漁法が盛んに行われ、「くじら揚がれば七浦潤う」と言われたほど地域の経済を支えてきた産業で、その盛況ぶりはC・W・ニコルの小説「勇魚」でも紹介された。

その伝統は、戦後の近代捕鯨にも引き継がれ我が国を代表する捕鯨の基地として栄えたが、国際捕鯨委員会(IWC)の捕鯨全面禁止決定以来、太地町の経済は火が消えたようになっている。

慰霊祭で濱中節夫町長は、「伝統ある捕鯨を禁止することは、太地町のみならず我が国の食文化、地域産業の大きな損失」として、6月にイギリスで開催されるIWC総会をにらんで捕鯨再開を願う決意を述べていた。


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