関西国際空港の服部経治社長は、22日関西国際空港本社で記者会見し、自ら退任の意志を明かにした。
22日午前、関西国際空港本社で記者会見した服部社長は「五年前に就任した時に開港と二期工事のめどをたてることを自らのノルマとした。」「いま、二期工事のめどがついたためこれを区切りにしたい。」と辞意を語った。
運輸省事務次官から顧問を経て平成三年六月に二代目の社長に就任した服部社長は在任期間を振り返って、「第一期工事にあたりターミナルビルのウイングを短縮する案が出たが、ウイングの長さが計画通りに復活した時が一番思い出深い。」と語り、また「関西の印象はいかがでしたか」との質問に、「関西は自分の気質にあった街だが、私が関西を好きなほど関西は私を好きではなかったようだ。」と笑いながら答えた。(注1)
服部社長は、来月二六日に予定されている株主総会と運輸大臣の承認をえて正式に辞任するが、後任の社長には運輸省港湾局長を経て港湾空間高度化センター理事長を勤めている御巫清泰(みかなぎ・きよやす)氏が内定しており、服部社長は御巫氏について「御巫氏は技術畑の出身で二期工事を進めるにあたり素晴らしい人材、経営面でも支障はない。」と述べた。
一方、服部社長の退任について和歌山県の西口 勇知事は「自ら苦労を背負っての大変な5年間だったと思います。心からご苦労さまでしたと申し上げます。新たに就任される御巫さんに対しましては2期工事の円滑な進捗にご尽力いただけるものと期待しています。」とコメントした。
(注1) 自らが語るように服部社長の役割は第二期工事の推進であった。社長就任当時は二本目の滑走路を建設する第二期工事が、第7次空港審議会の答申に盛り込まれるかどうか微妙な時期であった。
第二期工事の着工には地元自治体、経済界の財政的支援が不可欠であったが、バブル崩壊後の経済情勢の中で、経済界は分担金に消極的で、これに業を煮やした服部社長は記者会見で「東京人の私としては、関西はもっとエネルギッシュで熱意のある所だと思っていたが、どうやら期待はずれらしい。」と痛烈な発言をし、経済界を煽ったこともある。
しかし、運輸省に対しては「押しの服部」と言われるように、第二期工事の実現のために服部社長が果たした役割は、関西経済界の誰もが認めるところだ。