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●南紀白浜空港で「さよならYS11」の式典 96/3/8


昭和43年の南紀白浜空港の開港以来、白浜と東京を飛び続けたYS11が、白浜空港のジェット化にともない、日本エアシステムの定期便から姿を消すことになり、8日、南紀白浜空港で「さよならYS」の式典が行われた。

YS11は昭和40年に誕生した我が国で唯一の純国産大型旅客機で、離島の小さな空港にも就航できるように離着陸の距離が短く、客室の圧力装置や暖房設備を備えた当時としては非常に先進的な飛行機です。

8日、午後3時35分、かん高いエンジン音を響かせながら定刻より15分遅れで東京からのYS最終便が満員で到着するとエプロンで記念式典が行われ、日本エアシステムの及川 隆取締役大阪支店長が、「昭和40年のYS11誕生以来、わが社のYS11は日本の国民の約半分にあたる5700万人の乗客を運んできました。今さらながらに、航空事業の重要性と責任を感じます。」と挨拶をした。

このあとYS11は東京へのラストフライトに出発、この日を記念して日本エアシステムは搭乗券を白浜空港の開港当時のものを、またスチュワーデス(JASではキャビン・アテンダーと言う)の制服も70年代に使われたマリーゴールド色ものを特別に用意した。

和歌山に空の時代の幕開けを告げた南紀白浜空港は昭和43年4月に開港し、当時まだ、日本国内航空と呼ばれていた日本エアシステムは、東京便と大阪便を開設、一方全日空は名古屋便を開設した。

東京・白浜便は白浜観光の利用客を中心におおいに賑わい、開港2年後の昭和45年には利用客10万人を突破しローカル空港とては最短期間を記録、昭和57年には累積100万人を突破したが、ジェット化の波に乗り遅れ平成5年ころから利用客数が低迷していた。

開港以来27年間で日本エアシステムのYS11が東京白浜間で運んだ旅客はのべ142万6000人、一便あたりの平均利用率は66%、一般的に航空便は利用率60%が採算ラインと言われていますから、そんなに収益が上がる路線ではなかったと言える。 それだけに日本エアシステムもジェット化による収益増に期待をかけているが、この日最後のYS11の乗客は六四人、利用率は100%だった。


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